前回のつづき。
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「久しぶり。元気だった?」
私の家の最寄りのコンビニ前で再会した彼は、どこか不安そうな表情をのぞかせながらもニッと笑った。
海でひとりで泣いたあの最悪の日から、三年以上が経過していた。
その間、私は新居へ引越し、新しい環境で音楽活動に集中していた。以前は毎日のように飲みに行っていた常連のあの店は閉店し、そこのスタッフや常連客達もしばらくは付き合いがあったがそのうち疎遠になった。飲み歩く事もずいぶん減った。
「うん、相変わらず元気」
複雑な気持ちを抱きながらも、その変わらない顔面どストライク具合に負けそうになるのをひたすら耐えていた。
「はい、おみやげ。つってもこのコンビニで買ったんだけど」
そう言って彼が渡してきたのはビールだった。
「お、ありがと。ウチ着いたら飲も。じゃ、とりあえず行きますか」
そこから私の家まで約5分。私たちは当たり障りのない世間話やお互いの現状を話しながら並んで歩いた。
「で?今日は何しに来たの?」
家に着き、部屋にあがりテーブルで向かい合って座る。もらったビールで久しぶりと乾杯して一口飲んだ時、単刀直入に聞いた。まずは牽制しておくべきだ。また彼に飲み込まれる。
「何しにって・・・いや、ただ会いたくて。だめだった?」
「だめだったらまず家入れないわ。でも君が何考えてるか相変わらずさっぱりわかんないんだよねー」
大丈夫。以前より思ったことを正直に言える。それに、きっと彼も私に何かしらは言われるのを多少覚悟してここに来ているはずだ。たぶん。
「え、なんか怒ってる?」
「怒ってるというか、呆れてるって言った方が近いかも。よく会いに来れるなーって」
「・・・ああ・・・悪いことしたよね、俺。あの時ちょっといっぱいいっぱいでちゃんと考えられなくてさ。ごめん・・・でもやっぱあの後もずっと気になっちゃって。忘れられなかったんだよね、あんたのこと」
まるで今思い出したかのような言い方。私が口に出さなければスルーしようと思ってたのだろうか。私もある意味で忘れられませんでしたけどねえ。しかし3年もの間、間隔は開いていたものの定期的に連絡してきたのはなかなか辛抱強いというか空気読めないというか・・・
「まあ、別にもういいんだけどさ。昔のことだし。でも今更会ってどうしたいのって思って」
「いや、どうしたいとかじゃなくて・・・ただ会いたかったんだよね。だってあの時楽しかったじゃん、一緒にいた時」
確かにあの時は楽しかった。いつも楽しい話をしてくれて、私を笑わせてくれた。毎日彼の事を考えて、電話がくるたびにドキドキして、会うたびに嬉しくてどんどん好きになってた。付き合ってと言われて彼を信じた。でもその楽しい日々をぶち壊した本人がそれを言うか。
どうしたいとかではない、というのはつまり、私に恋人としてではなくてまた都合のいい女になって欲しいという事でしょうか。
3年も経ったし、もしかしたら彼も少しは変わってるかも・・・と思った私が馬鹿でした。彼はあの時から何も変わってはいなかった。
「うん、めっちゃ楽しかった。でも同じくらいあの日めっちゃ悲しかったよ?君の中で私は大切な存在じゃないんだなって思い知ったよね」
「・・・・・ごめん、でもそうじゃなくって、いやほんとにそんなつもりじゃなかった・・・付き合ったらもっと傷つけると思って・・・」
彼のどストライクな顔が歪む。
まずい。このままだと責め立てまくって泣かせてしまいそうだ。さっき「別にもういいんだけどさ」って言ったくせに全然もうよくないではないか。
「あ、ごめんごめん。今更責めるつもりはないんだけどさ。でも付き合ったら傷つける、不幸にするってどういう意味だったの?それだけ教えてくれないと自分の中で納得できない。ずっとそこだけモヤモヤしてるんだよね。正直に言って。まじで」
「・・・・・・・・」
彼はしばらく黙ったが、やがて重い口を開いた。
「・・・俺さ・・・昔付き合ってた彼女がいて」
「うん」
「その時その娘のことすげえ好きだったんだけど、好きな気持ちが信じられない、浮気してるんじゃないかって疑われてめっちゃ束縛されて」
「・・・うん」
「で、彼女のこと好きだし浮気も絶対してなかったし、だから束縛しないで欲しい、信用して欲しいって伝えたら・・・その日に自殺未遂されたんだよね」
「・・・・・・」
「それがショックすぎて、怖くて、それから誰とも付き合ってない。あんた以外は。あの時もう大丈夫かもって付き合ったけど、でもやっぱりだめだって怖くなって・・・あー、最低だわ、俺。ごめん」
「・・・・・・・・・そっか」
軽そうなのに、なぜなかなか手を出してこなかったのか。お互い好きとわかったのにそれでも付き合っていない事にしていたのか。会おうと思えば毎日でも会える距離なのになぜ頻繁には会わなかったのか。
腑に落ちた。
思い返せば彼はお互いの気持ちの熱が高まったら間を開けて一度冷ます、的な事を毎回意図的にしていたのではないか。
その壁は常にあった。彼の方からはこちらに必要以上に踏み込んでこない。唯一踏み込んできたのは彼が私にキスをしたあのクリスマスの日くらいだろうか。
いつも過剰なくらいに笑顔だった彼の、闇の部分が炙り出された。その笑顔は心の闇を隠すための仮面だったのか。
その元カノの話が本当かどうかはわからない。もしかしたら彼の作り話かもしれない。でももしそれが理由だとしたら、それが本当の理由だとしたら・・・もしそれをあの時に正直に伝えてくれていたら・・・もし・・・
もしもの世界で、私たちは今頃うまくいっていたのだろうか。
私は彼の事を赦し、慈しみ、その心の闇を取り払うことができていたのだろうか。
もしも。
もしあの時。
もしあの時、私が彼の心にもう少し寄り添えていたら。他の女の影を疑って感情的になり拒絶するのではなく、どうしてなのかとちゃんと理由を聞いていたら。
私たちは今頃・・・
後悔とは何か少し違う感情が私の頭の中でぐるぐるとまわって、とてつもなく悲しくなった。嘆きたくなった。叫びたかった。
それはもう過去には戻れない事への無念か、未練か。
「そっか・・・しんどかったね。言ってくれてありがと」
気がついたら私は今にも消えてしまいそうな彼を抱きしめて、その背中をさすっていた。
「あんたには絶対言うつもりなかったんだけどなぁ。なんか俺めっちゃカッコ悪くない?そんな事で、って思ったでしょ」
「うん、めっちゃカッコ悪いけどそんな事でとは思わないよ。でもカッコ悪いところをそうやってあの時も見せてくれてたら良かったのになーとは思うな。あの時の私だったら、もしかしたらそれも含めた君ごとまるっと受け入れられたかもって思う。それでもいいよ、って。それでも好きだよ、って」
「・・・・・・・・」
「けど、私も私であれからかなりしんどかった。なかった事にはできないくらい。だから。前と同じようにはいかないし、できない」
「うん。わかった。ごめん。でも俺さ、ほんとに・・・・・いや、なんでもない」
「うん、言わなくていいよ。たぶん」
「・・・・ですよね」
2人とも黙った。
部屋に流れていた world’s end girlfriend の音楽だけが、その空間を占領していた。
「・・・あ、てかこっちこそごめん。せっかく会いに来てくれたのに、来て早々なんか話しにくい事をなかば強制的に言わせたみたいになっちゃって」
「いや、いいよ。なんか言ってスッキリした部分もあるし」
「それなら良かった。うん、良かった良かった」
そう言って、私は両手で彼の両頬をギュッとつねって引っ張った。
「ぶふふっ。変な顔ーーーー!」
「ちょ、なに急に、今そんな雰囲気!?」
彼が笑った。
ああ、やっぱり私はこの笑顔が最高に好きだったんだな。
そうだ、たまらなく好きだったんだ。
私たちは互いにくすぐり合い、笑いながら転げ回って、どちらからともなく、あの頃みたいに抱き合いながらキスをし、きっとお互いこれが最後だと思いながら体を重ねた。
その後、しばらくは彼から2〜3ヶ月に一度くらいのペースで連絡はきていたが、再び会う事はしなかった。そのうち私から彼氏(後の夫)ができたことを伝えると、それ以降はパッタリと連絡をしてこなくなった。
その何年後かに一度だけ「久しぶり。元気してる?」とメールが来て、結婚した事を伝えると「そっか!おめでとう!よかった!幸せになってね!今までありがとう!」と、感嘆符たっぷりの返信がきた。
それが彼との最後のメールだった。
彼は私にいろんな話をたくさんしてくれたけれど、その膨大な話の中から本当の彼の姿を見つける事ができなかった。
彼は一体何者だったんだろう。
嘘つきか。正直者か。臆病者か。人たらしか。加害者か。被害者か。私のことをただの都合の良い女と思っていたのか。それとも本当に好きだったのか。
彼は今、あの心の闇を取り払ってくれるような人と出会えているだろうか。それともそれも全て彼の作り話だったのか。私を納得させるためだけのおとぎ話・・・
まあいい。
この先もう二度と会うことのない彼のことを信じてあげよう。
少なくともあの日、ビルの屋上で空に吸い込まれるような朝焼けを一緒に見て感動していた彼は、きっと本物の彼だった。あの時の彼の輝くような横顔はきっと忘れる事はないだろう。
この同じ空の下、どこかで幸せになってくれていることを願って。
それは、近づけば近づくほどに輪郭が朧げになり、確かにその中にいるはずなのにこの手につかむことができなかった、雲のような男の話。
完