ハローハロー、コーシュカでゲス!
突然ですが実は私、ふと気づいたら死んだ魚の目に恐怖を感じるようになってしまっていて、生活の場面でも不便を感じることが度々あります。
なぜ恐怖を感じるのかネットで調べてもなかなか出てこなかったので、もし同じ症状に悩んでいる人がいたら少しでも参考になれば幸いです。
それでは、はーじまーるよーーー!
※上記の理由によりお亡くなりになった魚の画像は載せれませんが、生きてる魚の写真は出てくるので、それも苦手な方はご注意くださいませ。
もくじ
概要(私の場合)
対象:魚の目(死んだ魚に限る)
範囲:サメからシラスまで大きさ問わず魚全般
症状:直視できない。ずっと見ていると動悸、血の気が引く。触ると手が震える。
まず最初に言っておきたいのは、私が恐怖を感じる魚の目は「死んだ魚」に限定されるということです。
なので、上の画像のような生きてる魚がウジャウジャいる水族館も好きで行くし、あまり経験はないですがおそらく釣りも平気です。(釣った後に死んだら無理だけど)
金魚や熱帯魚なども飼育できると思います。(死んだら無理だけど)
そして、なんと寿司や刺身・焼き魚・煮魚など魚料理全般大好きです。
けれどそれが目のある頭付きだとその時点で急に食べられなくなります。
特に焼いたり煮たりの調理後の魚の目とか白くなっちゃってもう・・・想像するだけで寒気がします。
うーん、不思議。
いつから発症したのか
魚関連で最初に思い浮かぶのは小学生のとき。
お祭りで金魚すくいをして持ち帰り飼育していたのですが、結構すぐにその金魚が死んでしまいました。
そのときはかわいそうとは思いましたが恐怖は感じず、丁寧に庭に埋めました。
そして小学生か中学生の時だったかな。時期は定かではないのですが、学校の理科の時間にクラスの友達が飼っていて死んでしまった巨大な金魚を解剖するという結構衝撃的な授業があったのですが、その時点でも「うえー気持ち悪い…」くらいで恐怖までは感じていなかったと思います。
それがふと気づいたときには既に死んだ魚の目に恐怖を感じるようになってしまいました。
実家暮らしのときは普通にサンマをそのまま焼いたのが出てきてた気がするし、その後一人暮らしを始めた後でも飲み会などで居酒屋で頼んだ魚のお造りを見ても平気だったように思います。
その後のちょっと気になる体験といえば、20代の前半ごろに親戚に連れて行ってもらった柳川鍋のお店でのこと。
こんな料理があることを初めて知って、出されて初めて目にして、初めて食したわけです。
これの衝撃が結構すごくて。
確か、どじょうそのものも見たことがなかったと思います。
一見、卵でとじてあるしいい匂いもしたので美味しそうだったんですよね。
でも器によそわれたものを箸で掴んでみると・・・卵の間からドロッとどじょうがすべり落ちました。
・・・グロい。
もう一度、卵で隠すようにどじょうを箸でつかみ、思い切って口に放り込みました。
見た目の印象が味覚に多大な影響を及ぼしたのか、
ま、不味い・・・これ食えないやつだ・・次食ったら多分吐く・・・
私は安くもない店にせっかく連れてきてくれた親戚に申し訳ないと思いつつ、でも無理して食べて吐いた方がもっと失礼だと思い、正直に「ごめん、ちょっと苦手かも・・・」とやんわり伝え、どじょう以外の部分のみ食すことにしたのでした。
「コーシュカにはまだ大人の味だったのかもしれないね〜、ごめんね気にしないで〜」と言ってくれて一安心するも、内心では「今後食べられるようになる自信が全くないんですけど・・・」と思ってました。。
絶対にこの時からとはいえませんが、今思えば大人になってから魚に関する衝撃的な出来事といえばこれくらいだったので、ここら辺から魚の目が気になりだしたのかも…と疑ってはいます。
食べられると食べられないの境界線
甲殻類にはなりますが、私的には恐怖レベルは魚と一緒のエビで例えます。
お寿司のエビやエビチリとかって基本頭ない状態で出てきますよね。あれは食べられます。
でも、よく突き出し(お通し)で出てくる蒸しエビとか大体殻つきでそのまんまな形ですよね。
そうなると無理です。目ついてるんだもの。
で、例えばそれを優しい人が殻剥いて頭取ってくれたとしますよね。
けれども一度頭のある状態の死体を見てしまったら、いくらそれが後から切り落としたりもぎ取ったりして出されようと、もうすでに頭がある状態が脳裏に焼き付いているわけだから無理なのですよ。申し訳ないけれど食べられません。
最初から剥いて出てきたものなら大丈夫なのに。
自分でも意味がわかりません。
初めて魚をさばいたらトラウマになった件
結婚するまでロクに料理なんてしてこなかったもんだから、今ままで生きてきて魚を捌いたことがありませんでした。30半ばにもなって。
だって魚を捌くってことはあの目に見られながら包丁でまず首を落とし・・・と考えるだけでもうダメですよね。
でもいざとなればスーパーで頼んだら頭落としてもらえるし、それなら私にだって捌けるかもとか思ってたんですよ。切り身は問題ないわけだし。
考えが甘かった・・・
何年か前、地元が北海道の友達からサンマをいただいたんですよね。実家から大量に送られてきたからって。
その友達の家からもらって帰るときに、手間と失礼を承知で頭を切り落としてもらいました。。
ただ、問題なのは家に帰って一人で下処理をしようとしたとき。
友達の家で直接全体を見たわけではないんだけど、
このサンマ頭がついていたんだよね、さっきまで・・・
って脳裏にうっすらよぎるものの何も考えないようにして腹を切って内臓をそぎ落として・・・ってやっているうちにだんだんと血の気が引いてきて、なんと包丁を持つ手が震えているじゃありませぬか!
ふーっ、ふーっ、と息を吐きながらなんとか心を落ち着かせて、無の境地で最後までやり遂げることができたのですが、挑戦したことで克服どころか逆に魚をさばくことがトラウマになるという・・・
残念無念。
トラウマで重症のち派生のち微妙に克服
それ以来かどうか定かではないのですが、一時期は鶏肉でも全体像を想像してしまうようになってしまいました。
鶏肉についてくる鶏皮って、たまに毛生えてません?
それ見た瞬間にブワーッてニワトリの姿が脳内で再現されて、鶏肉だけに鳥肌立ちます。←ドヤ顔
鳥の丸焼きなんて想像つきすぎて食べられません。そのまんまですよね、形。
だからクリスマスシーズンでよく食卓に並ぶ丸ごとローストチキンに関しては、鳥の焼死体を飾り立ててなんという残酷な食事風景なんだ!としか思えなくなりました。
美味しいのはわかってんのよ・・・でも駄目なのよ・・・見た目が
しかし、鶏肉は我が家の大黒柱、旦那氏が大好きなお肉。
それを食卓に出さぬわけにはいきませぬ!
心を無にして包丁でカット!カット!カーーーーット!!!!
節約のため鶏胸肉を頻繁に購入し、数をこなしてなれさせる(麻痺させる)スパルタ作戦を実行しました。
皮を剥ぎ取るのはそれまた鳥肌立ってしまうので、包丁を研ぎまくって皮付きのままじっくり見ずにスパスパ切っていけば無問題。
それでおさまったとはいえ、やっぱり今でもたまに想像してしまうので、そんなときはまたひたすら心を無にして切ってます。
死んだ魚の目が苦手で困ること
魚(切り身)を買いたいのにスーパーで魚売り場に行くのを毎回ためらう。
旅行で海の幸が美味しいお店に行った時に頼むものが限定される。
旅行で旅館に泊まった時の割烹料理で食べられない又は見れないものがある。
おめでたい席での「おめで鯛」。全然おめでたい気分になれない。だって死体だから。むしろ私にとっては葬式のような気分。
テレビなどで急に出てくるとホラー映画より心臓に悪い。
などなど。
どれもすごく困るわけではないのだけれど、できれば克服したいことだらけ。
「魚恐怖症」とは
調べてみたらこのように解説されてました。
魚恐怖症(イチッソオ・フォビア:ICHTHYOPHOBIA)
生きた魚に囲まれたり、死んだ魚を食べたりできない恐怖症で、より一般的に見られるのはサメ恐怖症であろう。
料理に出された魚を見たり、臭いをかいだりすると恐怖を感じ、場合によっては具合が悪くなってしまうこともある。こうした人は、スーパーの魚売り場にも近寄らないことだろう。
引用元:カラパイア
この恐怖症の人の前で魚の話題は禁句だ。魚の姿やにおい、魚が泳いでいることを考えるだけで、恐怖に苛まれてしまう。つまり、海で泳いだり、寿司バーに行くことはできないことになる。
水銀など汚染物質をもつ魚を食べると病気になるという考えが原因になることが多い。あるいは、魚を見ることは、差し迫った運命を彼らに警告している予兆としての行為であるという認識をもつ場合もある。
症状としては、口渇、不安、めまい、震えなどがある。とにかく魚に関するあらゆることを避けるのが手っ取り早い治療法だ。釣りや魚関連の映画を観る、ペットショップや水族館などすべてダメだ。
この恐怖症の直接の原因はわかっていないが、見込みのある治療法はいくつかある。催眠療法、神経言語プログラミング、疑似体験療法が一般的だ。
引用元:カラパイア
「魚恐怖症」と一言で言っても、いろんな症状の人がいるんですね。
私の場合は生きてる魚は大丈夫だし寿司も食べれるので、魚恐怖症の中でも結構限定的な症状っぽいなー。。軽い方ってことだろうか。
原因は病気になるとかそういう脅迫概念ではないと思う。
催眠療法で確実に治るのであればやってみたい気もするけど…よっぽど信頼できる先生じゃないと怖いですよね。寝てる間に何されるかわかんないし。
考察。もしかして原因はアレだった?
これ書きながら改めてよく考えてみたのですが、結局スーパーの鮮魚コーナーで並んでいる魚は、私にとって食べ物ではなく死体なんですよね。
魂の抜けた感情のない目をした死体がズラーっと並んでる。
中でもシラス丼は飛び抜けてヤバイですね。死体が山のように積まれてる感覚。(実際そうなんだけど・・・)
それらを人間に置き換えて考えちゃう。
擬人化ですね。
苦しんで死んだのかな、とか。その時に家族や大切な仲間は一緒だったのかな、とか。
目に対して特に恐怖を感じるってところは、おそらく「死」が一番よくあらわれている部位だからだと思うんです。
あの目を見るとその魚の死んだ時の場面が(想像だけど)脳内で再生されることも。。
ってことはですよ。
私が恐怖を感じているのは、魚の目ではなくて「死」なのではないかと。
私たちが普段生活している上で、動物の死んだ身体をまるっとそのままの姿で目にするものって魚が一番多いんじゃないでしょうか。(お医者さんや葬儀屋さんは除くよ)
牛や豚や鳥も精肉コーナーに置いてありますが、全てバラバラに切り取られた一部でしかないですよね。(鶏肉の場合はたまに全体を想像できるから対象になることもある)
この一番身近にある「死」が、いつの間にか私の中で死の象徴として格付けられて、恐怖を覚えるようになったのではないかと思うのです。
けれども、「死」って誰もがどこかで恐れているものじゃないですか。
それをわざわざめちゃくちゃわかりにくい形で、こんな風に恐怖症としてあらわさなくても良くない?
とも思いましたが、でもこれは個人的な推測であってこれが本当の原因なのかはわかりませんものね。
ただ、今の所は一番怪しいと睨んでいるので、これをどうやって克服していけるのか考えていきたいと思ってます。
「死」からは確実に逃れられないけどね・・・
と、こんな感じでとっちらかしたまま終わるのは非常に忍びないのですが・・・
自分でもこういう風に文字に書き出してまとめてみると、私のように「あれ?もしかして実はこれが原因っぽいな・・・」「そうそう、そういえば昔こんなこともあったけどこれが始まりなのかも・・・」みたいな新たな発見があるかもしれません。
そこからすぐ解決できれば一番良いのですが、少なくとも解決に向けての何かきっかけがつかめたら、いつか克服できる日も夢ではないかもしれませんよね。
このブログを読んだことでそのきっかけを作れたのだとしたらとても嬉しいです。
そしてこれを読んでくれた人の中でこういう恐怖症に詳しい方がいれば、逆にアドバイスなどいただきたい!(切実)
もしこれからもっと症状が酷くなって生活に支障が出るようになったら、信頼できる先生探して催眠療法でもやってもらおうかな・・・。
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